西暦1800年代の偉人

【近藤 勇】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

今回は有名な「近藤 勇」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「近藤 勇」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

近藤 勇とは

近藤 勇(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。

口に拳骨を丸ごと咥えこむという珍妙な特技があり、近藤が尊敬していた加藤清正も同様の特技を持っていたと言われ、近藤は自分も加藤のように出世したいと笑いながら話していたという。

参考:Wikipedia

近藤 勇の名言集

人の道 忘れてならぬものは 恩義 捨ててならぬものは 義理 人にあたえるものは 人情 繰り返してならぬものは 過失 通してならぬものは 我意 笑ってならぬものは 人の失敗 聞いてならぬものは 人の秘密 お金で買えぬものは 信用

下拙刀(げせつとう)は虎徹ゆえにや無事にござ候

義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所

富貴利名豈に羨むべき 悠悠として官路の浮沈に仕ふ 此の身に更に苦有りて辛在らんと 飽食暖衣は我が心にあらず

孤軍たすけ絶えて俘囚となる。顧みて君恩を思えば涙さらに流る。一片の丹衷よく節に殉ず。雎陽千古これ吾がともがしら。他になびき今日また何をか言わん。義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。快く受けん電光三尺の剣。只まさに一死をもって君恩に報いん。

俺は武士よりも武士らしい武士になる

恩を負ひ義を守らん皇州士 一志を手に伝へ洛陽に入る 昼夜の兵談何事かなさん 攘夷誰と斗(はか)らん布衣郎

生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。不思議なもので、死ぬ気になると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな

脇差は長い方がいい

曾て聞く蛮貊五臣を称すと 今見る虎狼我が津(みなと)を候(うかが)ふと 回(かへ)りて復た誰か神后の趾を尋ねん 来りて慎むを向かへ和親を用うなかれ。

 

百行の依る所は孝と忠なり 之を取りて失無ければ果して英雄 英雄はたとへ吾曹の事にあらずとも 赤心をもって羌戎を攘んと欲す。

ながなが御厄介に相成った。

井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。

誠とは忠義なり

只だ應に迹を晦まして牆東に寓すべし、喋喋何ぞ世俗に隨って同じからん。果たして英雄の心の上の事を識らば、英雄ならざる處ぞ是れ英雄。

入ったばかりの賊は気が立っているもの。逃げる段になった時は早く逃げようと焦りも生じ、心に隙ができる。そこを衝くのが剣の秘訣だよ

窮鼠猫を噛むという言葉があります。放置しておいたほうが安全でしょう。

御用改めであるぞ!手向かいいたすにおいては、容赦なく斬り捨てる。

士道一息

醜女は貞淑。貞淑な女性を妻にしたい

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1800年代の偉人

© 2024 名言まとめドットコム